まぁちゃんのコラム

私的な日記です。主にうつ(適応障害)からのエスケープがテーマ。…のはず。

ギャオスな退屈/憂鬱。


まぁちゃーん。


はいはい。


こんにちは。ここんとこよく外出していたので、なんだか家の外に出るのが億劫で今日は一日中寝ていました。先週の土曜もやっちゃった…。


「過眠」は僕にとってイエローシグナルなことがあるので、大丈夫かなぁ……とちょっと心配。特にこれという心配事があるわけでもないんですが、「何もやる気が起きない」という気持ちとセットで寝まくっているので要注意かなと若干怪しんでいます。


「過眠」になる理由としては…


・心配事があって思考が止まっている
・耐え難い不安感から逃避するために眠る
・何もやる気が起きず、睡眠にはしる
・単に疲れてるだけ


などなど、いろんな理由が考えられます。今回はそんなに特定の心配事とかはないし、極端に不安を感じてるわけでもないので、たぶん外出が多かったせいで身体的にも精神的にも疲れてがたまっているということなのかなと思います。


健康な人に比べれば大した活動してないんですけどね。結構外を歩き回ったり人に会ったりするだけでストレスになったり、なんとなくここ最近やっていたことに飽きがきている気がします。


「飽き」がきている……これは単純に疲れてるだけとは別に、もしかしたら生活に「慣れ」てきてるのかなぁともちょっと思いますね。


4月末頃から症状が落ち着いて、基礎的な生活レベルも向上していると思います。具体的には、

・安定した生活リズム(主に朝、起床出来るようになった)
・定期的な外出
・生活に運動を取り入れ始めた
・コミュニケーションが明るくなった

とか。生活の中から汲み取れるエビデンスが一応あります。ただ、ちょっとここのところ、詰め込みすぎたかなぁ。。


「慣れ」を感じるもう一つの理由として、なんとなく日常に退屈し始めてるような気がします。(あれ、「飽き」に戻っただけか…)結局ちょっと予定がなくなると手帳真っ白な日々ですからね…。


今までは「何もすることがない」ということがすごく精神的に楽だったんですが、最近は「次、どうするよ」というのがたまに頭をよぎります。


それはたぶん今のレベルで出来ることに退屈してきたっていうのが1つ、理由としてあるのかなぁと。そして「できること」の水準が上がってきてるのかなぁと。そんな気がちょっぴりしますね。


成長途上にある子どもが、1つ課題をクリアするごとに「もっと」を欲しがるのと同じようなものです。そういう意味では回復してきてるなぁとも感じるし、もしかしたらただの「焦り」とか単なる「飽き」からくる退屈だとか、そういう可能性もあるのでちょっと怖いんですけどね。


あとは来月あたまにどのようにして辞意を伝えるか…。会社を辞めるなんやかやを前にして体調が悪くなってきてるんじゃないかというのが一番怖いです。


なんだかんだ1番のネックはそこですね。3月に休職期間が切れて、その後の去就を考えることになった際にも、徐々に徐々に行動意欲がそがれていって、最終的に相当不安定なところまでいってしまったので、今回もその全長なのじゃないかと不安です(実際考えてみても似てる気がする)。


不安だと思い始めると余計に不安になる気がするし、不安を自覚しないと対策もできない気もするし、難儀なもんです。。


まぁでも前回とは状況も違うし、大きく調子は崩さないものと思いたい。。


これからまぁちゃんがどうなっていくのか。


乞うご期待です。


ちゃんちゃん。

オリエント工業上野ショールームに行ってきた。

はろー。まぁちゃんまぁちゃん。


横浜に帰ってきて数日…、相変わらずむにゃむにゃその日暮らしをしています。といってもやることなんて基本、通院・映画・読書・ジム…くらいしかないんだけどね。健康維持に努めております。


なーんつって、うじうじやってるばかりじゃない。昨日は珍しく東京の東の方(東京駅より千葉よりは東東京、新宿駅より西よりは西東京という認識です)まで社会科見学に行ってきた!



その名も!



タイトルばれしてるけど…!



オリエント工業


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参考:オリエント工業HP
※閲覧は自己責任でお願いします。


日本の誇る世界のリーディングカンパニーです!
社会科見学っていうと工場とか観に行ったような感じだけど、今回行ったのは商品のショールーム。そんな夢のような場所があるなんてまぁちゃんもちろん知らなかったよ…。しかし持つべきものは友人知人同胞仲間。2週間くらい前に急に誘われて、二つ返事で行って参りました…。


完全予約制の聖なる30分間
“そこ”は東京の片隅にひっそりとあった
今回訪問したのは東京御徒町にある上野ショールーム。昭和通り沿いにあるごく普通のビルの2階にそこはありました。



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2階です


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こんな立て看板も出ています


こちらのショールームはなんと完全予約制。しかも制限時間は1組30分!さらに4名以上では対応不可!(そして女性の訪問は平日のみに限定!)というなんとも狭き入口です。いろんな配慮の上でのこの仕組みかと思いますが、何とも特別な空間にやってきたという印象を強く抱きました。大阪や福岡にもあるようなので、機会があれば行ってみたいですね。


エレベーターの扉が開くとそこはすぐショールーム。物腰やわらかな男性職員が案内してくれました。

「今回はどういった観点での見学ですか?」


観点…… Σ (・ω・ ) ノノ


僕と連れは単純に、世にも名高いラブドールの皆さんをとにかく近くで見て!触りたい!!というプリミティブな好奇心のみで突撃したので、何とも言葉につまってしまいましたが………結構アート系の学生さんとかが勉強の一貫として来たり、造形美を楽しみにやってくる方も多くいらっしゃるようです。そしてどうやらこのおじさんが来場者に合わせた解説をしてくれるらしい…。僕らはとにかく実際にラブドールそのものがどんなプロダクトなのかを実感したくてたまらなかったので、30分間ほうっておいてもらうことにしました(笑)


無言で美しく佇む少女達
撮影NGだったので残念ながら画像はありません。
展示の内容は、現在オリエント工業で購入可能なモデル十数体がメイン。様々な服装とポージングで美しく佇んでいました。他にはダッチワイフと会社の歴史に関する映像が流れていたり、ショーケースに頭部のサンプルが飾られていました。


※ラインナップはオリエント工業HPで観てね
オリエント工業|ドールズキャラリー



不思議なものですが、人の顔や身体って本当にひとつひとつのパーツが微妙に、しかし決定的に異なっていて、その組み合わせ次第でまったく違う顔が造られるんだ…となぜかドールを観て感じました。


アニメやゲームのフィギュアって、どうしても顔については漫画っぽく誇張された上に定型化されてしまっている部分が大きいし、彫刻とかになると今度は顔そのものについては没個性というか、「顔」というより「顔つき」に重きが置かれているような気がします。ろう人形なんかは実際の人間に限りなく近いですが、わざわざ造られる人形って結構キャラがたってるっていうか(笑)年齢国籍職業…など、そもそも生身のモデルそのものが誇張された個性を持っているように思います。


それに対して、こういったラブドール同じ年齢層・同じ性別の匿名的な女のコ達の顔。顔。顔。。素朴で、どこにでもいるような、自分の生活の中や、本当にこの街のどこかにいそうな……そんな顔をしてるんですよ。目や鼻や眉や唇、頬の肉のつきかた…そうしたパーツの少しずつの違いが、ひとつの顔になったときに大きな違いになる。とても繊細さを感じました。


実際、頭部のサンプルを見ると、匿名的個性が精巧につくりこまれていて非常に興味深いです。
連れと一緒に、


「この子はかわいいしすごい仕事できそう。」

「でも実際男が付き合いたいのはこっちの子だよね。」

「この子はうるさそう。でも身体が動かすのが得意でちゃきちゃきしてそう。」

「こっちは不思議ちゃんっぽい…」


などなど、想像がふくらんでなんだか女子大生図鑑を見ているようでした。


見事な触感!おさわり自由です。
展示してあるラブドールのほとんどは実際に触ることができます。一部直立展示しているものはDon't touch.ということのようですが…。


材質は大きくわけてソフビとシリコン。ソフビは廉価ですが硬い。。シリコンの肌は見事に柔らかくすべすべでした。体型の造形も見事です。身長はモデルのような長身ではなく、日本人の平均的な数字をとっているようです。グラビアアイドルみたいな体型をイメージしてもらえればいいのかな。


当然生身の人間とは随所に違いがあるわけなんですが、それでも四肢を持ったときの重量感や、唇の柔らかさ、関節の動き方、身体のライン…などなど、非常に丁寧に作り込まれています。おっぱいもちゃんと柔らかいですが、どうしても形状維持のために硬めにできている気がしました。


一番感動したのは手足の指の触感。これについてはもうリアルでリアルでびっくりしました。触っていて普通に気持ちいいし、これなら手をつないで寝たりしても違和感なし!人間が脱力している時の指の感じがリアルに再現されています。


どの子も見れば見るほどかわいくて、頭とか顔を撫でてみると、そこに本物の人間がいるように感じて一瞬ドキッとします。ここでも面白いなと思ったのは、人間ってやっぱり、擬似的でも本物に近い刺激を受けることによって、感情が喚起されてしまうんだなと。非常に興味深い体験でした。


エロというよりも…
僕も連れも30分間ひたすら興味津々であの子がこの子がと堪能していましたが、これまた不思議なことに、そこに無言で鎮座するラブドール達を、単純に性具として見ることができなかったように思います。


無抵抗ににっこりとこちらを見つめる彼女らに対して、やれおっぱいだおまんこだ、ここがエロいぞ…とかそういうこと、言えなかったんですね。股間に取り付けるオナホールの存在にも帰り際になってから思い出したように気づきましたし、実際着脱オナホは展示というよりは付属品みたいな扱いで部屋の隅っこに、無造作に置かれていました。


ここまで美しく、しかも本物に近い造形になってくると、単に性の対象としてではなく、存在を尊重したいという気持ちが素直に生まれてきます。創業以来注文殺到のオリエント工業の製品にユーザーが求めてるのってこういうことなんだろうなぁとなんとなく思いました。


年齢幅も結構広くって、5、6歳くらいに見えるものから女子大生的な体型のものまで。136cmのどう見ても小学生だけど巨乳…みたいな現実にはあり得なそうなモデルもあります。そういう、現実にはないけど現実っぽく定着させちゃう…っていう技術力にもすごく感動しました。あぁ、アニメやフィクションとかでよく見る、現実にはこんな体型ないよなーっていうのも、実は立体として違和感なく実存できるのかもしれない…と、なんか奇跡を感じちゃいました…。ホロリ。



(いらない情報かもしれないけど、個人的にはジュエル リアルテイストシリーズの“きらら”がよかったよ)


多岐にわたる活躍
ラブドールの皆さんですが、上記でもちょっと触れたように、なんかこう単純に性具という枠にはおさまりきらない価値のあるプロダクトであることは間違いないと思いますね。シンプルに言ってしまうと、存在感のレベルが高く、人間に近い。これがどいういうことかというと、“モノ”から喚起されるものとして今まで未知だった感情が生まれるということなんですよねぇ。それってものすごく価値あるものだと思うのですよ。抽象的だけど。


例えばララドールっていうまるっきり幼児のシリーズがあるんですけどね、これはまぁ、普段かなうことのない、小さい女のコとの戯れとして使うことができるし、それはもちろん現実にできないことを擬似的に可能にするっていう素敵なことです。でもそれとは別に、例えば事故や病気で子どもを失ってしまった親が買いにくるとか、実際そいういう用途向けに開発されているし、そのくらいのエネルギーがこの製品にはあるんですね。


そういう、“擬似的なもの”が心の隙間に入り込んでくるのってどうなの?という向きももちろんあるとは思います。でも実際この世の中には一時的にでもそいういうものを必要としている人がいるんです。それで救われる…という人が確かにいるんです。心の重さが軽減される…という人が。それはやっぱり、僕は必要だと思います。何より、あの手をつないだ感じのリアルさがそう思わせました。別になんていうか、ぬいぐるみやペットを愛でるのと同じ感覚でもいいし、そんなに問題のあるようなブツではないと思うんですよね。


あとは介護の現場とか、ロボット工業とかね、間違いなく活躍の幅は広がると思います。(あれなんか話が薄い…。)


参考:ラブドールの活躍あれこれ
☆歯科訓練用人形「昭和花子」
これは有名ですよね。ちょっと不気味ですw
http://jp.diginfo.tv/v/11-0139-r-jp.php

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☆映画出演

空気人形(2009)

空気人形 [DVD]

空気人形 [DVD]

体温(2013)
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http://bodytemperature.paranoidkitchen.com



広がる可能性。最高にクールな極東ジャパン!
今回観に行って一番に感じたことは、やっぱり今後の可能性についてです。特に性具としての進化は気になりますね。表情が変わったり、言葉を喋ったり、こちらの動きに反応して動いたり声がでたり。体温がついたり、よりリアルな触感になったり…。


今後、10〜30年(ひろいw)のあいだに、絶対に超絶イノベーションが起こる!!と僕は思っています(笑)


主にロボットやIT技術の向上と連動するとは思うんですが、人間の感情に訴えていくという大きなパワーがたぶん止まることがないと思うんです。そしてどこかでブレイクスルーが起こったら、これはもう大変なことになるんじゃないかと。(技術が流出したら軍事利用もあり得ますよこりゃ…。)


連れの言葉を借りるならオリエント工業があるかぎり日本の未来は明るい』とまで思いました。だってまだまだ絶対に向上していくはずの分野だし、なによりこうしたモノづくりへの真摯さがどうにも日本独特のもののように思えるんですよね。


別にこんなもんね、あってもなくても実はどっちでもいいはずなんです。ぶっちゃけなくても生きていける。でも「不便だから発明しなきゃ」とか「これがないとメシが食えない」とか、そういうガチな必要性から生まれたわけではなく、なんかこう、純粋につくりたいからつくった。そこにこだわりと執着があるからつくった。追求し、掘り下げ、洗練させたいからつくった。…そういう人間特有の創造衝動、探求衝動のようなものをラブドールからビンビン感じるんです。日本人はそこに妥協しない…っていう感じがします。


実際に観て触ってみると、よくあるアダルト製品のギャグっぽさ、卑猥さはないことがよく分かります。本当に悪ふざけのような部分は一切なく、真摯にラブドールづくりに打ち込んでいる企業としての姿勢を感じました。


別にラブドールの市民権が向上したりとかはしなくてもいいんだけど、もうちょっと産業として活気があったらいいのになぁとは思います。来るべきブレイクスルーの日を待っています!頑張れオリエント工業


ちゃんちゃん。


一体欲しいなぁ。


※ちなみに相場は一体60-70万くらいです。
※購入後は手入れなどが大変なのである程度の覚悟が必要です。
※似たようなラブドールに“4 woods”という会社もあります。こちらはもう少しエロに寄っている感じですね。顔の造形はオリエント工業のクオリティが高いと思いますが、ボディについては“4 woods”のこだわりを感じます。

久々に精神科へ行ってきたよ & 半年続けた治療について

むにゃむにゃ。まぁちゃんだぜ。


前回のエントリにも書いたけど、一週間ほど北陸某県へ滞在し今朝深夜バスで帰ってきたぜ。


深夜バスに乗るとさ、理由はよく分からないけどね、どうにも心が荒む。これは廉価なサービスが孕む宿命なのか、夜中に見ず知らずの他人と真っ暗なハコに詰められ、浅い眠りと固いシートにしがみつきながらゆさゆさ移動するという行為そのものが、僕らから人間らしさを奪い精神を消耗させるのか……。少なくとも言えることはこれが昼間のバスだったら同じ空間でも全く違う体験だろうということですな。経済的にはだいぶお得なのだが、次回使うかはちょっと要検討だね…。


(どうでもいいけど、航空券は早く買うほど安くって、高速バスは逆で直前になるほど安い。面白いねぇ。)


さて、前回のエントリでは雑用を済ませに北陸行ったみたいなこと書きましたけどもね、病院にもしっかり行ってきましたよ。なかなかメンタルにも影響がありました。


そもそもどんな治療をしていたか
治療としては大きく分けて3種類のことをしていたよ。

1.診察(精神科医)
週一回、医者とむにゃむにゃ話をします。症状の経過をみながら治療方針を策定します。診断書を書いてもらったり、薬を処方してもらったりもします。こればっかりは医者じゃないとできませんからね。


2.カウンセリング臨床心理士
週一回、カウンセラーに深刻な顔であらゆる近況報告と相談をします。僕にとってはちょっと緊張感のある時間です。担当のSさんが優しく話をきいてくれるという感じではなく、、僕のもにょもにょ発言に率直なコメントを言ってくるので実際たまに心臓に悪い……。


3.プレワーク @病院併設のデイケアセンター(社会福祉士臨床心理士、看護師)
週3日、9時〜16時。僕のような社会復帰せとぎわの患者さんたちが、主に生活リズムを整えたり、時間通りに外出して作業やコミュニケーションをするというリハビリチックなことをゆるゆるやっています。患者同士で情報交換をしたり、創作活動をしたり、軽い運動をしたり、トランプして遊んだり、たまに料理をしたり…と、やわやわ一日をやり過ごす。認知行動療法にお触りしたり、病気や健康について理解を深めたりもするよ。


※久しぶりに行ってみて痛感したのだが、決まった時間に決まった場所に行き、時間を拘束され、それほど親しくない人と一緒に場を共有するという行動。実はこういうのは思ったより精神的に負担が大きい。今の自分はメンタルもフィジカルも以前より元気だから余裕だろ…と思っていたけど、思いのほか疲労がたまって爆睡してしまった。やはり病気をしていると普通のことができなくなる。リハビリのステップとして、こういうデイケア・ナイトケアのようなものは調度いいように思う。


…とまぁこんな治療生活を11月頃から3月まで継続してきたのだ。思えば結構長く時間がかかったものだなぁ。


で、今年の4月に入ってからは実家に帰り、紹介状を書いてもらった横浜の医者になんとなく通うことにした。ところが通院頻度は大幅に減ってなんと二週間でたった一回というペースに…。我ながら異常なまでのサボりっぷりだと思うのだが、なんとなくそろそろ病院や病気の外側へ意識を向けようというステップにきている気がするので、自然な流れだと思うことにしている。当初は上記の通院環境を変更することにかなりの不安と抵抗があり、急に実家に身を移すのにはとても勇気が必要だった。。というかその結果が今のあっちとこっちを行ったり来たりの状態なわけなのだが…。。



久しぶりに行ってみて
そんなわけで先週は5週間ぶりに元通っていた病院へ行ってみた。


結果、素直に「自分はもうここにいるステップを終えた」というように感じる。


特に上記③のメニューについて。明らかに周囲の患者より自分が元気な状態であることを実感したし、いつまでもここにいては病状が一定水準以上に回復することはないだろうと思う。そして自分はその水準に達している(はず)だ。こりゃめでたい。(が、ちょっぴり寂しくもあるのが不思議)


そして何より久しぶりにこっち(北陸某県)の環境に身をおいてみると、自分が以前はあまりにもストイックに病気と向き合っていたことがよく分かった。それは治療の過程で必要なステップではあったのだが、こんなに自宅周辺に何もなく(すいません)、友達もおらず、病院とアパートを行ったり来たりするだけの生活ではそりゃあ病気のことであたまがいっぱいになる。自ら望んでそのような状況に自分を追い込んだ向きもある。しかし今の自分にとってその生活は少々息苦しく、こりゃ逆に健康に悪いと思わずにはいられなかった。


先生に会うとやっぱり安心
一番実感したのはなんといっても主治医の存在の大きさ。他のスタッフや患者仲間にもすごくお世話になったけど、「あぁ俺はこの人に救われたんだなぁ」と思って心底安堵した。ちょうど診察の前にカウンセリングでいろいろ話したらちょっと不安がこみあげてきて、動悸がしたり落ち着かなくなったんだけど、ちょっと待合室でうとうとして、医者の顔を見ていろいろ話したら解消された。


やっぱり今までの経過をよく知っていてくれているし、かなりの数の患者を抱えているはずなのに、自分のことをちゃんと覚えいてくれていることも嬉しい。いつも僕自身にとって何が楽で(逃げという意味ではなく)、自然な選択かを尊重してくれるとてもいい先生。今回も経過が良好になったことについて、僕を後押ししてくれるようなことを言ってくれて、結構気持ちが楽になった。


そんなわけで
今回はストレス因に近いところにいるとなんとなく不安定になることが実感として分かった気がする。これこそまさに適応障害ピーポーの典型ではなかろうか。大きく崩れたわけではないけど、やっぱり当時のことを思い出したりとか、過度に自分に向き合う時間が増えてしまったりとか。


僕の場合は退職して引っ越してしまったら物理的にストレス因から綺麗さっぱり離れることができる(たぶん)。残念ながら、あの土地(と会社)のことは一度すっかり忘れてしまいたい。。


これが根本的な解決になるかは分からないし、似たような種類のストレスには相変わらず弱いままというのは怖い。でもまぁ、相対的に考えてもはやあの土地でできることはほぼやったし、実家に帰ってきて先のことを考えるフェーズに入ったと思う。


一応そんな収穫のあった一週間でございました。


なんでもかんでも向き合えばいいってもんでもなく、忘れちゃうって方がいいこともあるもんだなぁ。僕はそういうのが苦手なんですけどね、実感として、そういう選択が必要だと分かってくると、自然とできるようになるのかもしれません。


日本人は変にストイックになることを他人へ求める一方で、「Haha! Take it easy だよ!気にすんな!」みたいな輸入的コミュニケーションを無責任にやってくるダブルスタンダードなところがあって、どうにもそれが自分の身にふりかかってきた時にしっくりこない。



まったくいやになるぜええええええええええええ。



ちゃんちゃん。


(今回はテンポの悪い文章になってしまいました。)

【ライフハック】〜 俺のむにゃむにゃ to do 管理 〜

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じゃらんさんすいません



オラオラ。まぁちゃんです。


前回のエントリが某氏から好評だったが、あぁいうことを書くとなんだか誰かから怒られそうな気がして心臓に悪い。


さっそく「なんとなく10ヶ条とあともう1ヶ条」に抵触するが、このように実態のない想定世間に怯えて自分の行動や精神が抑制されるのは滑稽なことだ。


むにゃむにゃ。


そんなわけで(どんなわけだか)今週は北陸某県に帰ってきている。済ませなければならない雑用がいくつかあるのでやむなく…という事情はあるのだが、まぁここらで一度実家を離れてみるのも悪くない。


雑用に関しては本当にただの雑用ばかり。が、これがなかなか馬鹿にできない。病気中の身にとっては何よりもこの雑多な所用……というものが恐ろしく心の負担になる。


雑務というのは読んで字のごとく…(?)「別にたいして手間じゃないみみっちい事柄なのだが、そのタスクをこなさないことにはいろんなことが滞りなく進まないよね…」というレベルの用事。


生きているとこうした面倒かつ瑣末なto doにしばしば直面するわけだが、適応障害患者としてはどんなに些細な内容であっても「しなければならない(MUST)」というプレッシャーがざわざわと心を落ち着かなくさせる。


健康な人であればそういう面倒臭さに対して「えいや!」とちょっとした力技で自分の重い腰をあげることができる。うだうだやってる暇があったらさっさと用事を済ませてスッキリした方がいいに決まってるのだ……という損得勘定によってむしろ喜々として雑務を処理していくサイボーグマッチョなビジネス脳の方もいらっしゃるだろう。


が、わたしは元来健康な状態であってもこうしたタスクをこなすのが非常に嫌で嫌でしかたなく「うわああああああ!!!」とか意味もなく奇声を発することもままある。さらに、あらゆることに無気力になる精神疾患を煩うと…これはいよいよどうしようもない。


単に無気力でなーんもやりません…というだけならまだいい。


しかしこれがまたタチの悪いことに往々にして以下のフローを辿ることになる。

参考:いやだいやだのフローチャート

「雑務がある」
   ↓
「あれもこれもやらなきゃ」
   ↓
「やりたくないやる気でない動けない辛い」
(しかもストレス因に近い用事だとなおさら怖い ex.会社への連絡等)
   ↓
「こんな簡単なことなのに自分にはできないのか…」
   ↓
「あぁなんだか動悸がする吐き気がするだるい死にたい」
   ↓
「うああなんか擬人化したタスクのみなさんが黒く巨大化して僕を囲んでいる……やめて僕をいじめないで……」
   ↓
「いやだいやだやりたくない…」
   ↓
   ↓
   ↓
   ↓
   ↓
  ふて寝


これはあくまで僕のパターンにすぎないが、似たような無限地獄に陥り社会復帰がますます遠ざかる適応障害ピーポーは多いことだろう。やりたくもないことをやるって結構エネルギーがいることなんです。


(言うまでもないが、この現代日本でホワイトカラーとして労働に従事している一般サラリーマンの仕事内容なんざ9割型が山積し続ける雑務の処理に過ぎない。こんな状態で仕事に復帰できるか?否!!)


なんと情けない。


でも嫌なものは嫌だ!!


で、


そんな私がわざわざストレス因に近い土地にやってきて二、三の雑務をこなしているわけですが…、


案の定……





殆ど終わった。



やれやれ。


終わった終わった!



嫌々なことには変わりないんですが、予想を上回る早さで片付きました。すごい。どうしたまぁちゃん。


これなら予定通りまたすっきりと上京できそうです。


まぁ傍からみたら当たり前のことなんですけどね、一時期の状態から考えると目覚ましい回復です。すごいぞまぁちゃん!


これもできることが少しずつ増えてきた証拠。嬉しい嬉しい。


精神疾患の人はこういう低いレベルのことを一生懸命頑張っているのだと、周囲の人にはちょっぴりでも理解を深めてもらえたらなぁ。


うにゃうにゃ。


そんなわけでまだまだ順調と思われるまぁちゃんの生活です。
明日は久しぶりにこっちの病院に行ってみます。いい影響があればいいなぁ。


ちゃんちゃん。



関係ないけどはじめてスタバでテザリングなどしつつノマドっぽく作業してみた。なかなか捗りますな。


あれ?なんかタイトルが釣りっぽい…

25歳のなんとなく十ヶ条とあともう一ヶ条

25歳になった。四半世紀。後厄。若手先輩系社会人。アラサー予備軍。「まぁちゃんさんってどんなお仕事されてるんですかぁ?」。「そろそろ孫の顔が見たい」。高校生のころ付き合っていたTちゃんが結婚したらしいのFBで知ったよ…。etc…


24歳の一年間は本厄よろしくまさにSANZANな年であった。地方転勤からの登校拒否。こんにちは精神疾患。引きこもり寝たきりライフの夜明け。射精障害に悶絶する日々。アルコールと食事への不審。年末にやってくる急性胃腸炎。路面凍結による不幸な追突事故。膣内射精困難etc…


俺が何をしたっていうんだ。そりゃ日頃からちょっと怠け癖があるし優柔不断かもしれない。ちょっと変なエロビデオも観てる。でも精子くらい出させてくれたっていいじゃないか。


まぁあれだ、過ぎたことはしょうがないんだ。実はこの一年は結構おいしい経験だったはずなんだ。これからは胸を張って「俺には社畜生活は無理」と言える。


思えば21歳の冬に就活を始めてから24歳の夏に故障するまで、ガラにもなく他人様の言うことばかり耳を傾けてきた気がする。そもそもそれが全ての間違いであった。


私はもの心ついた頃から一貫して、自分の思ったこと感じたことを第一に尊重したいという人間だし、人それぞれ好き勝手生きりゃいいじゃないかと思っている。他人の価値観にもわりと寛容(なつもり)だ。


それが就活を始めた時、自分には「これでメシを食える」という自信がひとつもなかった(ある方が少数派だろう)。



……結果、どうしたか。



あろうことか、この沈み行くオワコン島国の惰性で稼働している錆びついた雇用慣習にすがりついたのだッ!


断末魔のタイタニック号にしがみつく三等客室の労働者のようにッ!必死でッ!


それまで健やかに育んできたはずの自由意志を海に投げ捨てッ!情弱Fラン学生を容赦なく蹴落としッ!!


一時の安心とひきかえにッ!このクソ資本至上村社会に隷属しッ!魂を売却したのだッッ!!!!!




…この思いに誇張はない。あの頃の私は間違っていた。


人は正しい連続性を断ち切るべきではない。いかに単一民族同質性神話のまかり通るこの国でも、右向け右でやりたくもない仕事を新卒一括採用で勝ち取る必要なんてなかったのだ。


まぁ今さら言っても仕方あるまい。その時そう選択せざるをえなかったのには私にもそれなりに理由があるし、この数年間の実践的な奴隷的迎合人生のおかげでやっと目を覚ますことのできた自分がここにいる。


せっかく25という区切りのよい歳なのだ。ここらで気持ちを新たに次の25年を生きるべく、いくつか決意めいた箇条的いましめ文書でも作成してみようではないか。



  25歳のなんとなく十ヶ条とあともう一ヶ条

一、実態のあるんだかないんだか分からない“社会” や “世間”を自分で勝手に作るべからず。

一、好きでもないクソ慣習に従うべからず。

一、身体、思考、精神を抑圧しないこと。てゆーかこれらを解放へ向けていくこと。

一、うまくやろうとしなくていいよ。自分が結果から何を得るかが大事だよ。

一、心地のいいことが善。抑圧を感じたら敵。

一、作られた価値観を“規律” や “事実”と誤認しない。

一、友達さえ失わなければ何度でもやりなおせるぞ。

一、自分と他者・外部を同化させない。

一、人のちっぽけ差は大して変わらない。あるのは能力差と適性差。

一、どうでもいいことに本気になれるか。それが人生。

一、上記の内容について、またあらゆるケースにおいて自分を強迫しすぎないこと。


……ケッ


なんでもそうだが言葉にすると実にチープである。


まぁ今に始まったことではない。


病気をしてからというもの、自分の中で大きなパラダイムシフトを迫られた。そして実際、体中の細胞がつぎつぎに入れ替わっていくのを今ひしひしと感じる。そのうち「チーン」という爽やかなベルの鳴る音とともに「フッ、もう以前のように、自ら自分を抑圧した挙句寝たきり射精困難生活を強いられてしまうような私ではない!」ときっぱり言い放つヒーロー然とした僕ちゃんが誕生するだろう(という気がする)。


なんとなくそんな予感がした25周年であった。



ららばい。


ちゃんちゃん。


てーん。


(うろジョジョ風)


【参考】5月9日はピッコロ記念日なので基本的には毎年“ 生まれ変わり” や “ 違う世界 ”を暗示してくれます。

【参考】5月9日はアイスクリームの日です。昔は馬車道でアイスがタダで食べれました。今は知りません。

定職をもたないまぁちゃんと、彼の二郎巡礼の年 〜vol.1 茨城守谷店〜

まぁちゃーん


最近活動してるせいか食欲の方も好調です。一時は食べることに関して軽い嫌悪感まであったのを考えると、なんとも喜ばしいかぎり。最近はわりとモリモリ食べてます。それでも以前のようなペースで毎日は厳しいですが…。


そして食べれるようになったものの中で一番嬉しいのがコレ!!




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そう、この一杯の名はラーメン二郎


※【追記】これ、二郎じゃなくて日吉の「ラーメンどん」だった。


学生時代は二郎の圧倒的なオリジナリティコンセプチュアルでストイックな店舗経営に感銘を受け、そして何より中毒性の強い二郎そのものの魅力の虜になり、足しげく通ったものです。


病気をしてからというもの、胃腸の調子も優れず、そして食欲もなく…もう二郎に関しては再起不能だと諦めていました。


もう、二郎のことは忘れよう。奴と俺とはもう分かり合えないんだ。まるで別の軌道の惑星みたいに、引き裂かれてしまった…。


のですが、昨日ついに、なぜか茨城でカムバックを果たしました!(急)


まぁたまに渋谷の凛とかでリハビリはしてたんですけどね…w


ちょうど筑波山の帰りに守谷の二郎に行けることが判明し、これを逃したら守谷二郎には二度と行けないかもしれないと思って突撃しましたww



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ラーメン小 ニンニク


結果は余裕の完食!!嬉しくって思わず涙ぐんでしまいましたよ僕ぁ…



チラ裏レポすんません
茨城守谷店は二郎の中でも比較的新しい店舗のようですね。一部店舗では殺伐とした雰囲気に門前払いをくらうこともある二郎…。こちらは地方店舗ということもあり、ギスギスとしたドヤ顔ジロリアンよりも、車でふらっと立ち寄る一見客や家族連れなんかもたくさん訪れるほのぼのムードでした。


店主1人と助手2人の三人体制。二郎には珍しく4人がけのテーブル席があったり、店主が連席案内を率先してリードしてくれるので安心です。店内の椅子に座って順番待ちできるので足も疲れないし、前ロッター達の様子をじっくり観察できるのでコールのタイミングや量なんかも事前にリサーチすることができるので良心的です。


待ち時間中に食券見せてーがあります。守谷は小の下にも「すくなめ」「麺半分」の食券があり、こちらも良心的。それからテーブル席の客は個別に食券回収とコールタイムがあり、専属の助手(女性でした)が聴取に来るようです。


コール時はふつうに「ニンニクいれますか?」ですが、店主の声が小さくて誰に何を言ってるかよくわからないので要注意。食券見せてーも同様です。


盛りは多くも少なくもない印象でした。標準的で教科書的な二郎という印象でしたね。麺はデロ気味。野菜はクタでもやし7のキャベツ3くらい。スープはカネシがキいていて乳化度は低め。食べ始めは油の層が分離していました。豚も食べやすく平均的。なんとなく三田本店に忠実な一杯という印象ですねぇ。


思うに、これだけの量を食べれるのは二郎だからという結論に達しつつあります(笑)
だって他のラーメンで同じ量出されても食べる気しないもん。なんにせよとにかく理屈抜きで旨い。旨すぎる。


そんなわけで今年は二郎巡礼を再開しようかなと思います。


実はあんまりあっちこっち行ったことないんですが、記憶が正しければ守谷でちょうど10店目だった気がします。仕事もないし、人に会う予定もいじれる身分なので、ニンニク臭を気にすることなく思いきり食べれますからね。


えーと、三田本店、目黒、関内、京急川崎、品川、神保町、小滝橋、小岩、中山…そして茨城守谷かな。


あ、このまえ閉店した高田馬場を忘れてた。11だ。


今は全部で38店あるから、残り28店か…無理だな。


参考:ラーメン二郎PC店



何にしてもね、好きなものを好きなだけ食べれるという幸せはとても得難いものだとひしひしと感じるのですよ僕は。


こんなことをすることに意味なんてないかもしれない。しかし僕にとって二郎を巡礼することは、ある種の救いに近いことのように思える。かつて失ったものは失われたままだし、損なわれたものは損なわれたままだ。しかしそこに残されたしるしを辿ることはできる。たとえそれがどこかで途切れていたとしても、少なくともあるポイントまでは道を確かめることができるだろう。つまり、そういうことだ。むにゃむにゃ、僕は射精した。(「定職をもたないまぁちゃんと、彼の二郎巡礼の年」村上春樹/2013年)

筑波山に行ってきたー。

まぁちゃーん


GW楽しいなん。4月末から驚くほど体調がいいので自分でも逆にとまどっています(笑)ま、友達と予定が合うタイミングで体調が安定していて何よりですな。


僕は遊びすぎると、というか活動しすぎると精神的に不安定になることが多いので、適度に息抜きをするのが難しいです。プライベートでも仕事(?)でも結構関係なく精神的に消耗します(健康的かどうかには差がありますが)。そんなわけで、ある程度人付き合いもセーブしていこうと思っています。


やっぱりひとりでうにゃうにゃする時間が必要なんですよねぇ。


筑波山に行ってきたよ
3日から4日にかけて登山に行ってきました!先月の高尾山に引き続き運動&自然との触れ合いで元気になろう計画です。


これが大成功。学生時代の友達(男尊女卑2人 × フェミニスト2人)と楽しく山登りに興じたあとは温泉に浸かり、茨城の鳥や豚や納豆なんかをいただきました。茨城で遊んだのは初めてだったんですが、筑波山はかなりお手頃なスポットですね!家族連れや若者グループなど、老若男女でかなり賑わってました。



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ケーブルカーやロープウェイでも頂上付近まで行けるので、体力に自信のない人や赤ちゃんなんかも気軽に登れちゃいます。僕らは白雲橋コースを登りましたが、初心者が負荷をかけながら登れて登山ムード(×ハイキング)を楽しむには最適でした。ゴツゴツと存在感を主張してくる岩たちや、いちいちそれにありがたくつけられているお名前なんかを堪能できます。


筑波山に行くならこちら


山頂からは茨城に広がる平野を一望してかなーーーーりいい気分になれます。こればっかりは自分の足で登った達成感がありますね。東京スカイツリーでさえ展望台は450m。標高877mから見下ろす筑波山からの景色はレベルが違いました。富士山だと高すぎて現実味なかったもんなー。この爽快さは標高何mまでリアルに感じることができるんだろう。


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<平野を渋く眺めるS氏(もうちょっと天気はよかったです)>


身体が軽いなー
筑波山の効果!!というわけでもないんですが、やっぱり運動の頻度が増えると身体そのものが軽くなり、可動域も広がっていい気分です。気温が上がったことも影響してると思うんですが、こういう身体的な健やかさというのはそれだけで精神にいい影響があると思いますね。


次はジムとランニング。そして…
先週スポーツクラブに入会しました。来月には皇居ランデビューも決定!いいモチベーションで日常に運動を取り入れて行けるようにしたいなぁというのが今のなんとなくの目標です。実家に帰ってきてからくすぶってましたが、とりあえず身体を動かしていきたい。


そして6月には退職に踏み切る…予定です。


今までの傾向から考えると会社とのことを考え始めることで急激に体調が悪化するのはなんとなく予想できます。今回は大丈夫かなーなんて楽観もしてますが、3月に急降下した前例があるので慎重です。


そろそろ身の回りをすっきりさせて身軽にスタートをきりたいですね。元気だった頃の自分を少しずつ取り戻してきている実感もあります。まずは今月も元気に過ごせるように頑張って行きましょう。


えーと、


そんじゃーね!(〆の文句募集中です)