まぁちゃんのコラム

私的な日記です。主にうつ(適応障害)からのエスケープがテーマ。…のはず。

もうすぐ1年


前回のエントリから一ヶ月以上が経過した。


その間何をしていたかといえば、予定の通り、7月末で無事退職・引越を終え、今では晴れて本物のニート生活に興じている。


タイトルの「もうすぐ1年」……とはなにかというと、昨年の夏に適応障害を発症(診断)されてからもうすぐまる1年が経つということだ。


今日が8月28日ということは、ちょうど去年の今ごろ、いちばん自分の身体の状態が理解できず、混乱し、わけがわからないまま、不安の闇の中、とにかく会社にだけは行かなければと騙し騙し出勤していた。


記憶が正しければ、1年前の今日、何かしら理由をつけて午前休をとり、健康保険組合から無料で相談できる電話カウンセリングに涙声でコールしていたように思う。


今こうして、会社を辞め、実家でラフロイグなど飲みながら、macに向かってブログを書いている自分の姿を見たら、あの日の自分はどう思うだろうか。


実際に、あの日、こうした自分の姿を想像したかもしれない。原因のわかるようではっきりとしない身体の変調にただただ不安であったあの日。そこから何らかの……否、予感としては、恐らく会社からのリタイアという方法で、自分が辿るであろう茫漠の一本道から脱落し、決定的な喪失と痛みを伴いながらも、今のどん詰まりよりはまだマシと思える…少なくとも充分に呼吸ができ、喜びをもって食事をし、安眠ができる状態。そうした自分の未来を夢みていたように思う。


不思議なことに、あの日に空想したのは、元気溌剌とした笑顔と幸福に満ちあふれる自分ではなかった。前途の不確かさに内心怯えながらも、あのアパートメントの個室で一人うずくまる永遠とも思える日々からは、とりあえずの方法で脱出・生還することに成功した自分の姿。まさに、あれから1年後の今、このときの自分の姿であった。


あの日の自分が心から欲していたのは、何よりもまず “エスケープ” あるいは“レスキュー”…そういった類いのものだった。


あれから1年、これまでの1年、自分の身に何があったのか。


今このときを逃したら、この事象をきちんと捉えることは、この先難しくなるように思う。


どれくらいうまくいくかは分からないが、連載形式で、時系列順に、この「適応障害の日々」をこの場所で振り返っていきたいと思う。


今でも何かと無気力になりがちな日々ではあるが、とりあえず、試みだけでもスタートさせたい。


次回のエントリから…まずは前日潭から書いてみようと思う。